水戸地方裁判所 昭和53年(ワ)299号 判決 1983年5月10日
原告
一色光正
被告
株式会社エビハラ工芸
ほか三名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告の請求の趣旨
1 被告らは連帯して原告に対し、金二五〇〇万円及びこれに対する昭和五三年八月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
主文と同旨。
第二原告の請求原因
一 (本件事故の発生)
原告は、次の交通事故(以下「本件事故」という。)によつて、傷害を受けた。
1 日時 昭和五〇年一二月一〇日午後五時五五分頃
2 場所 水戸市河和田町一一五二番地先丁字型交差点(以下「本件交差点」という。)
3 被告車 小型貨物自動車(トヨエース茨四四は六五二三)
運転者 被告海老原真佐枝(昭和一二年一二月一〇日生)
4 原告車 自動二輪車(ホンダ・カブ、七〇CC)
運転者 原告(昭和一一年四月二八日生)
5 態様 水戸市方面から岩間町方面へ直進走行中の原告車に、岩間町方面から千波方面へ右折して来た被告車の前部が衝突した。
6 傷害 原告は、右大腿骨開放骨折、右脛腓骨開放骨折、右足関節内踝骨折の傷害を受け、かつ、後遺障害を負つている。
二 (治療と後遺障害)
原告は、右受傷により、次のとおりの治療を余儀なくされ、かつ後遺障害を有する。
1 入院・通院
(一) 第一次入院(水戸赤十字病院)
自 昭和五〇年一二月一〇日
至 昭和五一年一一月二九日
(二) 第一次通院(右同病院)
自 昭和五一年一一月三〇日
至 昭和五二年一〇月一三日
(三) 第二次入院(栃木県塩原国立温泉病院)
自 昭和五一年一二月一五日
至 昭和五二年三月二三日
右はリハビリテーシヨンのための入院。
(四) 第二次通院(水戸赤十字病院)
自 昭和五二年三月二三日
至 昭和五三年五月二三日
(五) 第三次入院(右同病院)
自 昭和五三年五月二三日
至 同年六月五日
(六) 第三次通院(右同病院)
自 昭和五三年六月六日
至 同年一二月三一日
2 後遺障害の程度・回復の見込
大腿骨、脛骨の骨折による右膝関節及び右足関節の拘縮、右下肢の短縮、これによる機能障害が後遺障害(九級)として残り、今後、右機能の回復見込は期待できない。
三 (被告らの責任)
1 被告真佐枝
被告海老原真佐枝(以下「被告真佐枝」という。)は、本件交差点を右折するに際し、対向して直進して来る原告車を現認しながら、目測を誤まり、安易にその前方を走り抜けうるものと思料して、敢て横切ろうとしたものであつて、同被告には道路交通法三条(横断・右折不適当)、同法七〇条(安全運転義務違反)の過失がある。したがつて、同被告は民法七〇九条により原告に対し本件事故によつて生じた損害を賠償すべき責任がある。
2 被告会社
被告株式会社エビハラ工芸(以下「被告会社」という。)は、被告車の保有者であつて、自己のために運行の用に供していたのであるから、原告に対し自動車損害賠償法(以下「自賠法」という。)三条により後記の損害のうち物損を除く損害について賠償すべき責任がある。
3 被告新蔵、同祐一の両名。
被告海老原新蔵(以下「被告新蔵」という。)、同海老原祐一(以下「被告祐一」という。)の両名は、次のとおり賠償責任がある。
(一) 使用者責任(民法七一五条一項)
右被告両名は、いずれも被告会社の代表取締役であり、被告真佐枝は被告会社の従業員であるところ、被告会社は、その設立の過程、並びに資本金額(当初は一〇〇万円、後に三〇〇万円)、及び役員の身分関係(右被告両名は親子で、役員としては他に取締役が一名いるのみ。)からいつて典型的な所謂る家族会社で、全くの小規模会社であつて、被告両名の個人営業と何ら異なるところがない。
そうすると、本件事案においては被告会社と被告新蔵及び同祐一の地位とを截然と区別するのは条理に反するのであつて、被告会社の社団性を否定し、被告新蔵及び同祐一の両名をもつて、被告真佐枝の使用者であるというべきである。
したがつて、被告新蔵及び同祐一は、原告に対し民法七一五条一項の使用者としての賠償責任を負う。
(二) 代理監督者責任(民法七一五条二項)
仮に、被告新蔵及び同祐一が使用者でないとしても、右両名は、会社にかわつて被告真佐枝の職務を監督すべき者として、原告に対し、民法七一五条二項による賠償責任を負う。
(三) 商法二六六条の三の責任
右被告両名は、被告会社の取締役であるのに、被告会社から遠く離れて東京に居住し、被告会社の営業及び従業員の監督一切を訴外海老原正志(被告真佐枝の夫)に任せていた。本件事故は、右のような被告両名の悪意又は重大な過失による職務懈怠により発生したものであるから、商法二六六条の三により原告の損害を賠償すべき責任がある。
四 (原告の損害) 合計八〇一一万一三〇三円
1 物損 計一〇万六〇〇〇円
(一) 原告車一台 金七万円
(二) そば類出前用岡持(金属製)一個 金三万円
(三) そば丼そば共一〇個 金六〇〇〇円
2 医療関連費 計三三〇万円
(なお、医療費自体は、保険からすべて支払われているので請求しない。)
(一) 附添費・入院雑費 金一一〇万円
(1) 第一次入院分(三三〇日分)
附添費(妻)一日につき二〇〇〇円宛 計六六万円。
入院雑費一日につき一〇〇〇円宛 計三三万円。
(2) 第二次入院分(九八日分)
入院雑費一日につき一〇〇〇円宛 計九万八〇〇〇円。
(3) 第三次入院分(一二日分)
入院雑費一日につき一〇〇〇円宛 計一万二〇〇〇円。
(二) 通院交通費 金一五万円
全期間を通じての自動車賃、汽車賃として合計一五万円の出捐を余儀なくされた。
(三) 家庭費 金二〇八万円
原告の入院に附添つた妻に代り、家庭の幼児の世話などのために、家政婦、炊事婦を依頼し、そばの出前のためにアルバイト学生を雇つた。
(1) 家政婦賃金 金五五万円
幼児の世話のために一か月五万円で一〇か月分。他に賞与として五万円。
(2) 炊事婦賃金 金七七万五〇〇〇円
一か月七万二五〇〇円で一〇か月。他に賞与として五万円。
(3) 出前アルバイト学生賃金 金七五万五〇〇〇円
一か月七万二五〇〇円で一〇か月。他に賞与として三万円。
3 営業費増加分 計二九五万九三四五円
うどん、そばの製造並びに調理を、本件事故により、これができなくなつていた原告に代つて行なつてもらうために、その技術者を昭和五〇年六月ころから一年間雇い、同人に対し、給与として合計二九五万九三四五円を支払つた。
4 慰藉料 計六四九万円
(一) 入・通院分 金二五七万円
(1) 第一次入院(一一か月)、第一次通院(一か月)分 金一〇二万円
(2) 第二次入院(四か月)、第二次通院(一〇か月)分 金八五万円
(3) 第三次入院(三か月)、第三次通院(六か月)分 金七〇万円
(二) 後遺障害分 金三九二万円
原告は前記のように大腿骨脛骨骨折等により、右下肢の三大関節の一関節の機能に著しい障害を残しており、これは自賠法施行令第二条後遺障害等級別表第一〇級の10に該当する。
さらに、原告は、下肢一センチメートル以上短縮しているので別に、前記等級別表第一三級の8に相当する後遺障害を有する。
されば、第一〇級の後遺障害の外に第一三級以上の後遺障害が存する場合に該当するので、一級くり上げて第九級の後遺障害に該当するものとする。
そうして、第九級の後遺障害に対する保険金額に相当する三九二万円をもつて、原告の後遺障害に対する慰藉料とするのが相当である。
5 逸失利益 計六七二二万五九五八円
(一) 休業損害 金五八万一九八二円
原告は、本件事故による受傷のため、その当時営業していたうどん・そば業「朝日屋」を、昭和五〇年一二月一一日から翌昭和五一年一月末日まで休業のやむなきに至つた。
この間の原告の損失額は以下のように算出される。
すなわち、昭和四八年二月の開業から右休業の前日である昭和五〇年一二月一〇日までの朝日屋の一日当りの平均売上額は二万八四四七円六八銭であつた。
すなわち、
昭和四八年(二月一日から一二月末日まで)の売上額七八四万九七一〇円
昭和四九年の売上額 一〇四八万八七三〇円
昭和五〇年(一月一日から一二月一〇日まで)の売上額 一一三三万二五〇〇円
合計二九六七万〇九四〇円
右二九六七万〇九四〇円を右期間の合計日数である一〇四三日で除すと、一日当り二万八四四七円六八銭となる。
しかして、商工産業所得標準表によれば、うどん・そば業の所得率は三八・六パーセントであるから、一日当りの平均利益額は、一万〇九八〇円八〇銭となる。原告は右休業期間においても、右と同様の利益をあげたものと推認されるべきであるから、その損失額は五八万一九八二円となる。
(二) 廃業による損害 金二七九七万四七〇一円
原告営業の前記朝日屋は、出前を中心としており、原告自らがその配達をしてきたのであるが、本件事故により、出前中心の営業ができなくなつたため、朝日屋は昭和五四年三月をもつて廃業のやむなきに至つた。
原告は、少くともあと一〇年は、朝日屋の営業を継続する計画であつたから、右営業廃止により、今後一〇年間に得べかりし利益を右一日当りの利益額(一万〇九八〇円八〇銭)に一年間の開業日数(三五三日)を乗じ、かつ、一〇年間の中間利息控除のためにライプニツツ係数(七・二一七)を用いて現価に直すと二七九七万四七〇一円となる。
(三) 労働能力の喪失(減少)による損害 金一二〇七万五一五五円
前記のとおり、原告は、本件事故により、自賠法施行令第二条後遺障害の等級表第九級の障害に該当する後遺障害を負うに至つているところ、昭和三二年七月二日労基発第五五一号通達によれば右の労働能力の喪失は三五パーセントに該るとされている。
しかるところ、原告は本件事故当時四一歳の健康な男子であり、年間最低二四〇万円の給与を得る能力を有していたから、残りの就労可能年数二六年間に得べかりし利益を年五パーセントの中間利息控除にライプニツツ係数(一四・三七五二)を用いて現価に直すと一二〇七万五一五五円となる。
(四) 将来の補助者雇入れ費用 金二六五九万四一二〇円
原告が今後うどん・そばの営業を継続していくためには、原告の稼働不能な部分を補うために、製造調理の補助者一名及び出前配達の専属者一名を特に雇用しなければならない。
しかるところ、右両名に支払うべき給与として一か月一五万円(補助者五万円、出前係一〇万円)宛の負担を余儀なくされることとなる。
原告の右による就労可能な二六年間の損害を、年五パーセントの中間利息控除にライプニツツ係数(一四・三七五二)を用いて現価に換算すると、二六五九万四一二〇円となり、これも本件事故により原告の蒙つた損害というべきである。
6 まとめ
以上の原告の損害額を合計すると、八〇一一万一三〇三円となる。
五 (結論)
原告の損害は右金八〇一一万一三〇三円であるところ、原告は保険金その他で右損害の填補として合計金一二〇六万三四四二円の支払を受けているので、これを控除した残額の内金として、被告らに対し金二五〇〇万円の支払と、これに対する訴状送達の翌日である昭和五三年八月二三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めるものである。
第三請求原因に対する被告らの認否
一 請求原因一の事実は認める。
二 同二のうち、原告が本件事故による負傷を治療するために、第一ないし第三次の入院した事実、通院した事実(実日数は不知)、後遺障害が残つた事実は認めるが、その詳細は判らない。
三1 同三1の被告真佐枝が原告主張のような右折方法を行なつたとの点は否認するが、その余の事実は認める。
すなわち、同被告が民法七〇九条による賠償責任を負担すべきことは認める。
2 同三2のうち、被告会社が被告車の保有者であり、自賠法三条の賠償責任を負うべき地位にあることは認める。
3 同三3のうち、被告新藤及び同祐一が被告会社の代表取締役であり、両名は親子であること、被告真佐枝は同社の従業員であること、被告新藤、同祐一は東京に住所があることは認めるが、被告新藤及び同祐一が本件事故による損害を賠償すべき地位にあるとの原告の主張は否認する。
四 同四の事実は争う。
1 物損は不知。
2 医療関連費のうち、
(一) 附添費の請求は失当である。水戸赤十字病院は、一応完全看護であるから、原告の妻が附添看護したとしても、継続した附添ではなかつたはずである。
入院雑費は一日当り六〇〇円宛の四六五日(すなわち第一ないし第三次の入院合計日数)分として二七万九〇〇〇円に限り認める。
(二) 通院交通費は九万九三四〇円に限り認める。
(三) 家庭費のうち、(1)家政婦賃金は三九万七五〇〇円(すなわち、原告の妻の妹に幼児の世話を依頼した謝礼分)に限り認める。(2)(3)の各賃金は営業経費に計上されるべき性質のものであり、損害に含まれない。
3 営業費増加分は、とうてい認めがたい。わずかに、第三次入院の際に調理技術者として軍司実を一三日間だけ日当払いの形式で雇つたにすぎない(原告の妻の証言)。
4 慰藉料は、入通院分と後遺障害分との合計六四九万円をもつて相当と思料する。
原告の入院期間が通算一年四か月におよび、後遺障害の確定した昭和五二年一一月七日(甲五号証の二)まで一年一一か月と長期間を要したこと、その間出産直後の原告の妻良子も含め多大に精神的苦痛を受けたであろうこと、後遺障害によつて原告の右足が不自由になり、身体的には現実に制約を受けていることなどを勘案すれば、原告主張額程度は争わない。
5 逸失利益に対して。
(一) 休業損害は通算入院期間の一年四か月分に限定されるべきである。
原告の所得は青色申告をしていたものであるから概ね正確に把握される。すなわち、事故前の原告の所得は、昭和四八年二月一八日から同年一二月末まで一〇・五か月が金一五六万三四一〇円(甲一三号証)、同四九年度が金二一七万二一六一円(甲一四号証二枚目決算表の青色申告控除前の所得金額)、同五〇年度が金二〇二万七五四三円(甲一五号証二枚目前同欄、ただし、五〇年一二月一〇日まで約一一か月営業、以降休業)となつているから右全期間の平均月所得は、概ね(1,562,410/10.5+2,172,161/12+2,027,543/11)×1/3=171,378金一七万一三七八円である。これを一年四か月休業とみれば金二七四万二〇四八円である。
171,378(円)×16(月)=2,742,048(円)
(二) 朝日屋廃業による損害は認められない。
(三) 原告は、後遺症による労働能力の喪失(減少)による損害を請求しているが、右は認められるべきではない。すなわち、後遺障害による将来の逸失利益については差額説がとられるべきであり、これによれば、後遺障害による現実的所得の減少が損害となるところ、原告の場合、本件事故後、事故前よりも営業の物的人的設備拡大に成功し、昭和五四年八月までに、国道五〇号線沿いの内原地内に郊外レストラン形式の大規模な「一色」なる屋号のそば店を開店するに至つており、収益も「朝日屋」当時よりも増加しているのである。したがつて、原告には、後遺障害による現実的な損害はないといわなければならない。
(四) 将来の補助者雇入れに伴う給料分をも損害として主張しているが、明らかに失当というべきである。
五 同五の請求は争う。
第四被告らの抗弁
一 (過失相殺)
被告真佐枝は被告車を運転して、県道を岩間町方面から水戸市見和方面へ進行中、交通整理の行なわれていない本件交差点手前三〇メートル付近から、右折方向指示ランプを点滅させながらセンターラインに沿つて進行し、本件交差点で一旦停止し、対向車線を岩間町方向へ進行する二台の対向車をやり過ごした後、三台目が本件交差点を左折したので後続車がいないことを確認のうえ、右折しようと発進し、時速約五キロメートルの速度で右折を開始したとたん、原告車が前記左折車の後方より飛び出してきたのを発見し、急制動をかけて停止したところへ、原告車が被告車の前部に衝突し転倒したものである。
右の如く被告真佐枝に右折に際し原告車の発見が遅れた過失があることは否めないとしても、原告も、左折車の後方から進行してきたのであるから交差点のあることは充分認識しており、右折車があることは十分予見し得たはずであり、のみならず夜間であつたから被告車のヘツドライトに注意すればその発見は容易であつたにもかかわらず、前方注視義務を怠り漫然減速もしないまま進行した過失がある。しかして、本件事故による原告の損害額認容においては、原告車側の右過失を三割ないし四割の過失相殺として減額すべきである。
二 (損害の填補) 合計一六万三〇七九円
被告会社及び同被告の加入していた日本火災海上保険株式会社の自動車損害賠償任意保険(加入額二〇〇〇万円)から原告に対し、治療費を含めて合計七四〇万〇四一四円が支払われており、なお、国民健康保険から被告会社に対し金二四九万二六六五円が治療費として求償請求されている(乙第一三号証)。
さらに、右と別個に、自賠責保険から、後遺障害補償分として金六二七万円が原告に対し直接に支払われている。
したがつて、右合計金一六一六万三〇七九円は、原告の過失相殺した残額の損害から控除されるべきである。
第五右被告らの抗弁に対する原告の答弁
一 抗弁一(過失相殺)について。
被告主張の事故の態様は争う。
本件事故の実況見分調書に照らしてみれば、被告車の時速が五キロメートル位であつたはずがなく(計算によれば時速一七キロメートル位はあつたものと認められる。)また、被告車はブレーキによつて停止した形跡はない。
これを要するに、本件事故は、被告真佐枝の一方的な過失によつて発生したものであつて、過失相殺の主張は失当である。
二 同二(損害の填補)について。
原告は、被告ら側より、昭和五〇年一二月二六日から昭和五三年一月一〇日までの間に、約一九回に亘り、合計五七九万三四四二円を医療費以外の見舞金その他の名目で受領した。
右のほか、原告が自賠責保険から金六二七万円(後遺障害補償分)を受領したことは認める。
第六証拠〔略〕
理由
一 (本件事故の発生)
請求原因一の事実は当事者間に争いがない。
右争いのない事実並びに成立に争いのない乙第一ないし第一二号証、原告本人尋問の結果の一部及び被告真佐枝本人尋問の結果を総合すると以下の事実が認められる。
1 本件事故発生現場(本件交差点)は、岩間町方面から水戸市見和方面に通ずるアスフアルト舗装の平担な、幅員七・二メートル、制限時速四〇キロメートルの道路(以下「本件道路」という。)と、水戸市千波町方面へ通ずる道路とがT字型に交差する、交通整理は行なわれていないが見通しのよい交差点である。
そして本件事故発生当時、天候は晴れており、路面も乾燥していた。
2 被告真佐枝は、被告車を運転して本件道路を岩間町方面から水戸市見和方面へ向かい、本件交差点手前から右折方向指示ランプを点滅させながらセンターラインに沿つて進行し、本件交差点で一旦停止して水戸市見和方面から岩間町方向へ向う対向車を二台やり過ごした後、三台目の普通乗用自動車が千波町方向へ左折したので、これに引き続いて進行すべく、時速約五キロメートルで右折を開始したところ、前記普通乗用自動車の後方から時速約三〇キロメートルで道路左端を直進して来た原告車を自車の左斜め前方約五・七メートル先に発見し、急制動の措置をとつたが間にあわず、自車左前部を原告車右側面に衝突させ、原告車を転倒せしめたものである。
なお、原告本人尋問結果中には、三台目の車はトラツクであり、また、原告車の進行速度は時速約五キロメートルであつた旨の供述部分があるが、原告の司法警察員に対する供述調書(乙第七号証)中の記載に照らすと措信することができない。
二 (治療と後遺障害)
原告が本件事故により、右大腿骨開放骨折、右脛腓骨開放骨折、右足関節内踝骨折の傷害を負つたことは当事者間に争いがない。そして成立に争いのない甲第五号証の二並びに証人一色良子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。
1 原告は、本件事故による受傷に対し、以下のとおり治療(入・通院)を受けた。
(一) 第一次入院(水戸赤十字病院)
昭和五〇年一二月一〇日から翌昭和五一年一一月二九日までの三五六日間。この間に右足骨折部分を切開して金属の補強器具を挿入した。
(二) 第二次入院(国立塩原温泉病院)
昭和五一年一二月一五日から翌昭和五二年三月二三日までの九九日間、これは機能訓練のための入院であつた。
(三) 第一次通院(水戸赤十字病院)
昭和五二年三月二八日から同年一〇月一三日までの間に七回通院し、さらに、同年一一月七日に診断書作成のために、昭和五三年四月二〇日に入院予約のために同病院に通院している。
(四) 第三次入院(水戸赤十字病院)
昭和五三年五月二三日から同年六月五日までの一四日間。この間に、前に挿入した金属器具を抜去した。
(五) 第二次通院(水戸赤十字病院)
昭和五三年六月六日から同月二四日までの間に三回通院。
なお原告は、前記第一次入院と第二次入院との間及び昭和五三年六月二五日以降にも水戸赤十字病院に通院した旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。
2 昭和五二年一一月七日(症状固定)の時点で、原告には左記のような後遺障害が残存し、現在に至るも、長時間の労働を継続すると足に痛みが残る。
右下肢二・〇センチメートルの短縮。
右膝関節の拘縮(伸展〇度、屈曲一〇度)。
右足関節の拘縮(背屈マイナス二〇度、底屈四五度)。
三 (被告らの責任)
1 被告真佐枝
被告真佐枝が本件事故を惹起せしめた加害者本人として民法七〇九条により、本件事故により生じた損害を賠償すべき責任があることは当事者間に争いがない。
2 被告会社
被告会社が、被告車の保有者であり、自賠法三条の運行供用者責任を負うべき地位にあることは当事者間に争いがなく、右事実によれば、被告会社、原告に対し、身体障害により生じた損害を賠償する責任がある。
3 被告新蔵及び同祐一
右被告両名が親子であり、かつ被告会社の代表取締役であつて、被告真佐枝が被告会社の従業員であることは当事者間に争いがない。ところで、原告指摘の各法条に基づく賠償責任を右被告両名に肯認しうるだけの証拠は、本件全証拠を検討しても見い出しがたいから、右被告両名には賠償責任はないものといわなければならない。
四 (原告の損害) 合計一一五八万九八三一円
1 物損 金六〇〇〇円
原告本人尋問の結果によれば、原告は、出前の途上で本件事故に遭い、所持していたそば一〇人前(代価合計六〇〇〇円)を失い、同額の損害を受けたことが認められるが、その余の物損についてはこれを認めるに足りる証拠がない。
なお、成立に争いのない乙第二号証、及び原告本人尋問の結果によれば、原告車(自動二輪)の右側面が本件事故により凹損したため、これを修理した事実までは認められるが、その修理代金額については、これを肯認できる証拠はない。
2 医療関連費 計金八二万五一四〇円
(一) 附添費は認めがたい。
本件全証拠によつても、原告がその入院期間中に、妻あるいはその他の近親者の附添看護を受けた事実を認めることはできない。したがつて、原告の附添看護費用の請求は失当である。
入院雑費 計三二万八三〇〇円
前記認定の如き負傷の程度と治療の経過などからみて、入院に伴う諸雑費として、経験則上一日当たり七〇〇円を認めるのを相当とすべきであり、前記認定のとおり、合計四六九日間の入院を余儀なくされたので、その合計額は三二万八三〇〇円となる。
(二) 通院交通費 計九万九三四〇円
成立に争いのない乙第一三号証によれば、原告は、本件事故により、通院費として九万九三四〇円の出費を余儀なくされたことが推認され、他に右事実を左右するに足りる証拠はない。
(三) 家庭費
(1) 家政婦賃金 計三九万七五〇〇円
証人一色良子の証言によれば、原告とその妻一色良子との間には、昭和四九年六月生まれ及び昭和五〇年一〇月生まれの女の子二人の子供がおり、この二人の子供を朝日屋営業中は訴外川井キクにあずけ、その面倒をみてもらつており、その謝礼を支払つていたことが認められる。しかしながら、他方、同証人の証言によれば、当時朝日屋の営業は出前が中心であつたところ、出前は原告自身及びアルバイトの高校生が行ない、店舗内での営業は、原告の妻良子と他の従業員が行なつていたというのであり、また、成立に争いのない甲第六ないし第一〇号証、第一三ないし第一八号証(なお、第六ないし第一〇号証と第一三ないし第一七号証とは同一である。)によれば、原告の妻である訴外一色良子は、原告の青色申告上、昭和四九年度から事業専従者となつており、(昭和四八年度は配偶者控除対象者)、昭和四九年度には九二万円、昭和五〇、五一年度には各一四〇万円の給与の支払がなされており(昭和五〇年度の従業員の最高給与額は年七五万円弱である。)、また河井キクに対しても、給与として昭和五〇年度に年四五万円、昭和五一年度に年六六万円、昭和五二年度に年六六万円、昭和五三年度に六八万円の支払がなされ、これがそれぞれ経費(給料賃金)として計上されていることが認められる。これらの事実によれば、二人の子供の世話を他人に依頼し、これが対価を支払うのは、必ずしも本件事故の発生によるものではなく、かつまた、右の対価も営業経費のうちに算入されている結果、厳格な意味では損害の発生とはいえない面があるにしても、人手不足を来たして、より一層右妹の援助を必要としたことも容易に推測できるもので、被告の自認している範囲(三九万七五〇〇円)に限り右家政婦に対する支払賃金を本件事故による損害として認容することとするが、その余の請求は失当というべきである。
(2) 炊事婦、及び出前アルバイト賃金
本件全証拠によつても、本件事故発生により、原告が特に、炊事婦、あるいは出前アルバイトを雇うことを余儀なくされたことを認めるに足りる証拠はなく(証人一色良子の証言によれば、いずれも本件事故発生前から継続して雇用していたことが認められる。)、かつまた、本件事故により、その賃金を増額せざるを得なくなつたことの事実を認めるに足りる証拠もない。かえつて、成立に争いのない甲第一三ないし第一八号証によれば、後記認定のとおり、炊事婦及び出前アルバイトの賃金はいずれも経費(給料賃金)として計上されているところ、本件事故の前後を通じて、右給料賃金合計額が増大した事実もない。
3 営業費増加分は認めがたい。
原告は、「原告が、本件事故の負傷により、できなくなつたそばの調理等の技術者を雇わざるを得なくなつた。」旨主張し、証人一色良子の証言中には、第三次入院の際に、調理師として軍司實を雇わざるを得なくなつた旨の供述がある。
しかしながら、前掲甲第一三ないし第一八号証によれば、軍司實という人物は、確定申告書の原告の雇人欄中に記載されていないばかりでなぐ、昭和五〇年六月(本件事故前)から雇われてきていたことは原告の自認しているところであり、昭和五〇年度と本件事故後である昭和五一年ないし昭和五三年度とにおける雇人に対する給料賃金の総額はほとんど変化がない(昭和五〇年度二二三万五四〇〇円、昭和五一年度二三三万円、昭和五二年度二一九万五〇〇〇円、昭和五三年度一八四万六〇〇〇円)のであるから、原告の負傷によつて、営業費が増加しているとはいえない。
したがつて、原告の、右請求は失当といわなければならない。
4 慰藉料 合計七五〇万円
(一) 入・通院分 計二五〇万円
前記二1認定のとおり、原告は本件事故により受けた傷害を治療するため、合計四六九日間の入院と合計一二日(実日数)の通院を余儀なくされているところ、これを慰藉するには金二五〇万円をもつて相当とする。
(二) 後遺障害分 計五〇〇万円
原告が前記二2のとおりの後遺障害を負つており、現在も長時間の継続的労働が困難であることに加え、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によつて認められるところの以下の諸事実、すなわち、原告は東京で約一五年間そばの製造営業などの修業を行ない、昭和四八年二月から、「朝日屋」という屋号でそば屋を開業し、順調に業績が伸びはじめた昭和五〇年一二月に至つて、本件事故に遭つたこと、本件後遺障害のため、右の修業によつて得た技術を十分に生かすことができなくなつたこと、本件事故前の如く長時間に亘る立作業が困難となつていること、同じ「そば屋」であつても、営業形態を変更させて、朝日屋(旧店舗)から一色(新店舗)へ移し、従前よりも増収をあげられるようになつていることは、原告側の誠実な企業努力の結果であること、などの事実をあわせ考慮すると、原告の本件後遺障害による精神的損害を慰藉するには、金五〇〇万円をもつて相当とするというべきである。
5 逸失利益 計三二五万八六九一円
(一) 休業損害 三八万八五九六円
証人一色良子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故による受傷のため、前記朝日屋を昭和五〇年一二月一一日(本件事故発生日の翌日)から翌昭和五一年一月末日まで休業させるのやむなきに至つたことが認められる。
他方、前掲甲第一三ないし第一五号証並びに右同証人の証言及び原告本人尋問の結果によれば、朝日屋における昭和四八年度の妻一色良子に対する専従者給与を差引く前の営業収益(総売上額から売上原価、経費を差引いたもの。以下同じ。)は一五六万二四一〇円であり、昭和四九年度、昭和五〇年度の営業収益はそれぞれ三〇九万二一六一円、三四二万七五四三円であること、及び昭和五〇年度の月別売上金額は毎月ほぼ平均化していることが認められるから、これによれば、朝日屋が右休業期間中に得べかりし利益は、昭和五〇年度における一日当たりの平均営業収益の五二日分とするのが最も合理的である。そうすると、次の算式のとおり、その額は五一万八一二八円となる。
3,427,543÷344=9,964(小数点以下四捨五入)
9,964×52=518,128
しかして、前掲各証拠によれば朝日屋の営業は、原告が主体ではあるが、妻良子も事業専従者として寄与しており、その営業収益に対する寄与率が四分の一あると認めるのが相当であるから、原告が朝日屋の休業により喪失した得べかりし利益額は、前記金額の四分の三である三八万八五九六円と認めるのが相当である。
(二) 廃業による損害は認めがたい。
原告は、本件事故により、前記朝日屋が廃業のやむなきに至つた旨主張する。
しかしながら、証人一色良子の証言、及び原告本人尋問の結果によれば、原告は前記朝日屋を昭和五四年三月廃業して他の同業者に「朝日屋」の屋号のまま経営を引き継がせ、月額一〇万円を徴収してきており、同年八月から肩書住所地で「一色」という屋号のそば屋を開業したこと、「一色」は「朝日屋」よりも店舗の面積も広く、かつ、地理的にも恵まれていたため、原告の収入は、朝日屋の時よりも多くなつていること、朝日屋は出前が主体であつたが、一色は店売りが中心であり、広い駐車場(二〇台位収容可能)を持つ郊外レストラン形式をとつていること、以上の事実が認められる。
右の事実によれば、朝日屋の廃業は、原告が本件受傷により出前をすることが困難となつたことも一つの理由となつているものと推測されはするものの、むしろ、その実質は、営業規模の拡大のための発展的消滅ともいうべきものであつて、本件事故によるやむをえざる結果ではないというべきである。
したがつて、原告の右主張は、前提を欠くものであつて失当である。
(三) 労働能力の喪失(減少)による損害は認めがたい。
前記(二2)認定のとおり、原告は本件事故により右下肢等に後遺症を負つており、これにより原告の労働能力の一部が失なわれていることは明らかである。しかしながら、本件においては、原告の、労働能力の一部喪失を理由とする損害賠償請求は以下の理由で認めがたいといわなければならない。
前掲甲第一三ないし第一八号証並びに証人一色良子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、前記認定のとおり本件事故により朝日屋は五二日間の休業を余儀なくされたばかりでなく、朝田屋の営業成績は、昭和四八年から昭和五〇年までの売上高がそれぞれ七八四万九七一〇円、一〇四八万八七三〇円、一一三三万二五〇〇円と順調に上昇して来たのに対し、昭和五一年度は七六四万五五〇〇円と急減し、また営業収益も、前記認定のとおり、一五六万二四一〇円、三〇九万二一六一円、三四三万七五四三円と増大してきたのに、昭和五一年度は四九万八八九〇円の赤字となつていることが認められる。
しかしながら、他方、昭和五二年、昭和五三年の売上高はそれぞれ一三五四万六八一〇円、一二七四万二五五〇円であり、また営業収益はそれぞれ四二四万四七二二円、四三〇万六六六〇円であつて、いずれも本件事故前の水準を二割以上も上回つていることが認められるのであり、さらに「一色」となつた後は朝日屋当時よりも営業収益が上昇していることは前記認定のとおりである。
なおかつ、前掲各証拠によれば、朝日屋においては、本件事故発生以前から三名ないし四名の従業員がおり、原告は、これらの者の使用者の立場にあつたこと、したがつて、本件事故による受傷により、出前の仕事はできなくなつたものの、調理師としての仕事は、ある程度の不便ないし苦痛を伴いはするものの可能であり、さらに使用者としての業務には、ほとんど影響はなかつたものと推認されること、現に、一色においては、原告は昼間調理場に出て、自からあるいは使用人に指示してそば等の作製などを行なつている事実が認められる。
しかして、交通事故による受傷により、労働能力が減少しても従来の仕事に従事し、労働能力の減少によつて格別の収入減を生じていないときは、労働能力の減少による損害の賠傷はできないものと解すべき(最判昭和四二年一一月一〇日民集二一巻九号二三五二頁参照)ところ、右事実によれば、原告は、本件事故による受傷の後も引き続きそば屋営業を継続して、その仕事に従事しており、かつ労働能力の減少により格別の収入減は生じていないものといいうるから、これを理由とする損害賠償の請求は認容しがたいといわなければならない。
(四) 将来の補助者の雇入れ費用についても認め難い。
原告が本件事故の受傷により、その稼働能力減少部分を補うために、今後、調理等の作業補助者や出前配達従業員の雇入れを余儀なくされる事実を認めるに足りる証拠はない。
かえつて、前記四3で認定したとおり、朝日屋において、本件事故後、雇人の給料賃金が格別増加した事実はなかつたことが明らかであるから、原告の右請求は失当である。
(五) 昭和五一年度における休業損害 二八七万〇〇九五円
原告は右を損害として、明確には主張していないが、前記のとおり、本件事故後の昭和五一年度においては、朝日屋はそれまで順調に業績を伸ばしていたにもかかわらず、この年に至つて、急激に売上高が減り、赤字にまでなつていることが認められるのであり、証人一色良子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、右の事態は、本件事故による受傷の結果生じたものと認められるので、原告は昭和五一年度における本件事故なかりせば得られたであろう営業収益を、本件事故による損害となし得るところである。
しかして、朝日屋は、本件事故がなければ、少くとも昭和五〇年度と同等以上の営業収益をあげ得たとみるべきであり、そうすると、昭和五一年二月から(昭和五一年一月分は、5(一)ですでに算定ずみ)同年一二月までの朝日屋の営業収益は次のように算定される。
3,427,543〔昭和50年の年間営業収益〕-(9,964×10)〔同年12月1日から同月10日までの営業収益〕=332万7,903円
そうして、現実には昭和五一年度は四九万八八九〇円の赤字であるから、朝日屋の受けた損害は合計三八二万六七九三円となり、前記のとおり、原告の朝日屋に対する寄与率は四分の三をもつて相当というべきであるから、原告の損害は以下のとおり二八七万〇〇九五円となる。
3,826,793×3/4=2,870,095(小数点以下四捨五入)
6 まとめ 合計一一五八万九八三一円
よつて、原告は、本件事故により、合計金一一五八万九八三一円(うち六〇〇〇円は物損)の損害を受け、これの賠償を請求しうる地位にあるといわなければならない。
五 (損害の填補) 合計一一九六万一四四二円
原告が、本件事故による損害の填補として自賠責保険から金六二七万円(後遺症補償分)を受領していることは当事者間に争いがたい。そして成立に争いのない乙第一三号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は、右の金員と別個に、昭和五〇年一二月二六日から昭和五三年一月一〇日迄の間に治療費以外の損害金の支払として日本火災海上保険株式会社より合計金五六九万一四四二円を受領している事実が認められる。
右事実によれば、原告は、本件事故による治療費以外の損害の填補として合計金一一九六万一四四二円を受領していることになり、これは前記損害額一一五八万余円を上回る金員の支払を受けていることとなる。したがつて、右既弁済額により、本件事故による損害として認容されるべき右額は填補済みというべきである。
六 (結論)
よつて、その余の点について判断をするまでもなく、原告の本訴請求は理由がないことに帰するから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 龍前三郎 大澤廣 新崎長政)